かみさまのまち

おやすみを言ったのに目を瞑っても眠れないのはなんでなんだろうな。

 

10年ぶりくらいに浴衣を着た。

浮かれてまつげエクステとネイルにも行ったけど、また花火があんまりにも大きくってそんなことどうでもよくなった。

花火大会にいい思い出がほとんどないのだけれど、今年また花火は綺麗だった。

 

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あのまちはいつでも静かだ。

虫の声さえ聞こえない夜もある。外の街灯も窓から望んで遠く、朝は天気のわからない薄白い光をぼんやり浴びる。むかし夢見てた神様のいないまちそっくりだ。

 

バスタオルで濡れた体を拭いた時

キッチンの床が軋む音を聞いた時

玄関に屈んで靴を丁寧に並べた時

水気のおおい空気を吸い込んだ時

そういう時にばかり私は神様の事を忘れている

 

雑踏に飲み込まれながらいつも神様のことを考える

きっとそんなところにはいないだろうにな

 

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ろくがつ

どうせ長続きしないんだろうなとは思いつつ、最近文章をしょっちゅう書いていたので習慣をなくしたくないなと思って作った。

いろいろみてはてブにするか~ と気軽にメールアドレスを登録しようとしたら、2012年に作ったはてなダイアリーが出てきた。記事2つしか書いてなかった。さすがに3日くらいは書け。

 

 

数か月前まで顔も知らなかった人たちとしょっちゅうあってはあれこれ話をしたり何かを作ったりしている。思えばこの数年そんな毎日が続いていて、相手や場所をかえながら繰り返している。今は好きなことに活動が偏っているけど、好きなことを目いっぱいやれるのは幸せだ。

いつぶりかわからないけど、小説をきちんと一本書き上げた。

7/9の札幌の文学フリマに出ます。楽しみです。

 

人生のコンディションが今人生で一番いい。これより良くなることはあっても、悪くなることはそうそうない気がする。自己嫌悪の夜もあるけど昔に比べれば少なくなったほうだと思う。

 

手に入らないものとの付き合い方がうまくなった気がする。

どれだけ願っても自分のものにならないものって結構あるけど、手に入らないとは何事かと突っ伏しておいおい泣ていた時期も過ぎて、ああそうなんですか、そうですよなあと思えるようになった。進化か退化かはわからない。

 

もっと幼いころは生きているだけであちこち痛くてしんどくて悲しくて、その時の感覚を忘れたくなくていくつもいくつも言葉を吐いた。今でもインターネットの海のどこかにあの頃の私が漂っているんだろうけど、案外大人になっても忘れなかったよ。

でもいつかきちんとその時の自分から目を逸らさずに残したものを見たほうがいいんだろうなあとは思う。つたない言葉でも汚い言葉でも、過去の私が今の私にのこしたもんは大事にしてやりたい。

 

 

先週くらいまで文字をひたすら書き続けていて頭がヒートしていた。

もういない人のことを考えながらいろいろ書いた。私小説的だといえばそうなのかもしてないけれど、れっきとした事実がある以上私小説だって完全なフィクションでしかない。過去にとらわれているかどうかは案外どうでもいい。私が書き続けられるかどうかが大事だ。

 

最近よく会う人たちは言葉が近いというか、常識が近いというか、倫理観が近いというか。

落ち着くという言葉でくくっては申し訳ないのだが、配慮の元でくつろがせてもらっている感じがする。会話ができるということは幸せなことだ。

酸欠になっていた思考をちゃんと働かせたい。ちゃんと必要な場所にいたい。

 

幸福であることと心配がないことは決してイコールではない。

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